2014年9月30日火曜日

1982年に想うこと・・・

さて、いきなりのタイトルに「何これ?!」って感じですよね??


これはあくまで「ヤンキーが一番モテる?!場所。東京23区の外れの練馬区で育った小僧が吉祥寺と渋谷の間(まあ、ほぼ吉祥寺でしたが・・・)の高校に進学した年」の目線で見た「超主観的な1982年」のお話です。。。




さて、ようやく洒落た街に繰り出すことの多くなった僕(あくまで通学が主体ですが・・・)の目に映る当時の「カッコ良い」とは、

「サーファー的なもの」と「DISCO的なもの」。そしてその両者は非常に親和性が高いということでした。

もちろんカフェバーみたいなアーバンな場所もありましたが(アールデコ調(笑))そこは「サーフな若者が行く場所」って感じでしたね。。


(場所や年齢によって見え方は全く違うと思います。。その点はご考慮ください。。。)




さて、そもそもそんな内容を掘り下げようと思った動機は簡単。

先週金曜に中野サンプラザで行われた「山下達郎マニアックツアー2014」というツアーに行く機会がありました。
元々大好きだったのですが、ツアーに行くのは初めて。







まあ、彼のことなので相当なステージになるとは思ってましたが・・・


まあ、今回のステージの趣旨が良かったのか?ほとんど70〜80年台の曲中心のセットリストでした。。



そこでいきなり二曲目のあまく危険な香り。

そしてしばらくして始まったこの曲に完全にやられました・・・

「MusicBook」





その後もライブは凄かった。。

アンコールはBigWaveにLet'sDanceBaby。大瀧さんのメドレーにSparkleにyour eye's。

もう、完全に80年台にひきづり戻されちゃいました。。。

達郎さんも80年にライドオンタイムが大ヒット。その後82年には普及の名作「ForYou」が発売。鈴木英人の大ブームが来ます。(FM STATIONのカセットレーベルなんか相当大事でしたね・・・下敷きはクリアファイルで中味はFineのポスター入れてました)



その後もMelodiesにBigWave、GreatestHitsにComeAlongという当時の「サーファーの必需品」と言える名作が続々とリリースされる。そんな年でした。。


実は達郎さんはそんな「サーファー御用達」みたいなラベルを払拭すべくこの後の作品は敢えてその世界観を変えたと聞きます。
そのせいなのか?実はその後の作品は僕も追いかけることはありませんでした。(最近になってその素晴らしさを再認識して聞き直してますが・・・)

更にこの年の特徴である「ウォークマン」の普及でいつでも音楽状態でしたから。。。

オレンジのヘッドフォンパッド、懐かしいですね。。



今では考えられないことですが、当時は少年ジャンプでも「サーフィンの漫画」が連載されたほどです。。

「猿渡哲也の海の戦士」





当然、海に行くのは難しい練馬区の若者でも「ちょっとでもサーフライクに」見える様に色々な努力をしました。。



当時、高校の同級生でお姉ちゃんがオールナイターズだった(これって関東ローカルな話題でしょうか?)マセガキの親友Sの影響受けてまずは休み時間は屋上で日焼け。(これ、当時は結構場所取り大変でした)屋上はコパトーンのココナッツの匂いでいっぱいに・・・


コンバースのハイカットにリーバイスのスリム。サーフブランドのパーカー等で少しでもサーファーに見えるように・・・
髪型は校則が厳しいのであまりイケてなかったですが、、、(後のマッチヘア的方向に大分助けられました)

なんかこの時の夏の光は今より眩しかった気がします(笑

当然Discoデビューもこの時期。。まだ六本木は遠く、東亜ビルやスカラ等で・・・



この年のヒット曲日本ではあみんの「待つわ」。
ビルボードではオリビア・ニュートン・ジョンの「Pysical」。


でも、実際にはBoys town Gangの「Can’t take my eyes off you」やシャカタクの「NightBirds」。そしてDonaldFagenの「TheNightFly」なんかがヘビロテでした。


個人的にはエアサプライなんかも好きだったかな?




こんな曲も最高でした。。当時のサーフライクな音楽はDisco&AORですから・・・



邦楽でも前年の「A Long Vacation」を出した大瀧さんがこの年は「NiagaraTriangleVol2」をリリースして大ヒット(この中の曲もとっても海辺サウンドでした)
また、ド定番サザンは普及の名盤「NUDE MAN」そしてバラッドをリリース。僕にはどうにもサザンの「遊び人ムード」が当時は苦手でした。。。

因みにサーフィンの方は?というと・・

当時は丸井プロ(その後丸井パイプラインマスターズなんてのもやってましたね・・)の画像をみてください。。(8mmです。何故か?BGMは古いオフコース。この時代既にさよならヒット後ですが・・)

当時のスターはマークリチャーズにショーン・トムソンにシェーンホラン。。

(実はこの映像他のブログで見たことがあります。今回サーフィン1982で検索したら一番にひっかっかりました・・)




正直、当時は「丘サーファーもどき」だったので、サーフィンのことは全くわかりませんでした。。

クラスメイトで小田急線等海に近い奴は何名か電車サーファーでした。
そいつらは良く「twinかトライか悩む」なんて話してましたね・・・

でも、僕等の世代が後になってからサーフィンを始める人が多いのはこういった文化背景で育った人が多かったことも否めません。。






まあ、とりとめもなく思い出したこと並べてるのですが・・・如何せん小僧だったので見落としていることは多々あると思います。

ですが、「当時の目で見たこと」であることには変わりなく、後から「人から聞いたこと」ではないことは自分では大事なことだと思ってます。

流行ってたことでも「ダサい」のか「ダサくない」のか?ってのは結構紙一重でしたからね。。。



まあ、この時代の話は今度我々の仲間の「サーフィン生き字引」のFさんに色々聞いて見たいと思います。

他の年も今度切り取って見たいと思いますが、82年はどうしても外せない年ですね。。

これからも機会があれば違う年を切り取って見たいと思います。。

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